父親とは何でしょうか。
2015年1月30日
一見シンプルに見えるこの問いが、科学技術の進歩に伴い、非常にむずかしい議論を呼んでいます。父とは何かについて定めた民法という法律があります。この法律が制定されたのは明治時代で、今から100年以上も昔です。ですから、父と母の定め方も、当時の状況を踏まえたものでした。
具体的には、民法がこれまで前提としてきた「母」は、子どもを分娩した女性です。子どもは母親から産まれてきますから、母とは出産した女性であることが伝統的に当然とされてきました(なお、ここにも「代理母」という難しい論点がありますが、このコラムでは省きます。)。他方、父親は、必ずしも出産のような分かりやすい外形はありません。そのため民法は、妻が婚姻中に妊娠した子どもは、夫の子どもだと「推定」する制度にしました。なお、制度のフォローとして、離婚してから300日以内に生まれた子どもは、出産までの期間を考慮して、婚姻中に妊娠したものと推定する規定もおきました。なんだか複雑な制度です。
不正確な表現になることをご了承いただき、あえてざっくり言うと、①妻が産んだ子どもの父親が、真実、夫の子どもかは分からない、②だから婚姻中に産んだ子どもであれば、まあ、夫の子どもだと推定しましょう、③ただし、離婚した場合も、離婚から300日以内に生まれた子どもであれば、きっと婚姻中に妊娠したことにしておきましょう、という感じです。
この制度は、現代の感覚からすれば、「離婚する頃に性交渉なんてあるのだろうか?」、あるいは、「父かどうかなんてDNA鑑定で分かるじゃないか?」、という疑問が湧いてきます。他方、この制度は、とにかくも法律上の父親を早期に決めて、子どもの身分関係を安定させようという目的があり、その目的は、現代にも通じるところがあるように思われます。
なお、「真実は夫の子ではない。」ということを法律上明らかにしたい場合、1年以内に夫が「嫡出否認の訴え」という裁判を起こしたり、「親子関係不存在確認の調停」を起こしたり、あるいは、妻が妊娠した頃、夫は刑務所に入っていたとか、海外出張をしていたなどの一定の事情を説明して、「親子関係不存在確認の訴え」を起こす方法が採られることがあります(どんどん複雑になりますが、ご容赦ください。)。
さて、最高裁判所は、近時、上記の問題点に関して非常に重要な判決をしました(平成26年7月17日)。最高裁は、父子関係がないことが科学的証拠によって明らかであっても、また、夫婦がすでに離婚して別居しているなどの事情があったとしても、子の身分関係を安定させる制度の必要性が当然になくなるものではないとして、上記のうち「親子関係不存在確認の訴え」をすることはできないと判断したのです(なお、最高裁判例は、これまでどおり「一定の事情」がある場合には、例外があることを前提としています。)。
最高裁は、「法律上の父親」かどうかは、DNAだけで決まるものではない、というスタンスと評価できると思います。この最高裁の判断は、賛否両論あるでしょうか。じつは判断をした裁判官の中でも意見が割れました(5人の裁判官のうち、2人が反対意見でした。)。
余談ですが、福山雅治主演『そして父になる』という映画があります。カンヌ国際映画祭の審査員賞を受賞しました。映画は、6年間にわたって育ててきた子どもが、実は他人の子どもと判明したことからはじまる、苦悩と葛藤の物語です。それまで育ててきた事実や過去の思い出が大事なのか、はたまた血縁が大事なのか、非常にむずかしいテーマを描いていました。
この映画は、子どもの取り違えが原因でしたから、前提として、夫婦と子どもの間にまったく血縁関係がありませんでした。ですから、上記最高裁の事件とは、前提が異なります。もっとも、父親とは何かを考える上で、非常に示唆に富んでいたと思います。