「袴田事件」について
2014年10月30日
■事件の概要
昭和41年、静岡県清水市の味噌製造会社専務宅が放火され、焼け跡から刺し傷のある一家4人の死体が発見されました。警察は、集金袋がなくなっていて金目当ての内部の犯行が疑われる、事件後に左手中指などを負傷していたなどとして、はっきりとした証拠もないままに元プロボクサーで味噌工場で働いていた袴田巌(はかまだ いわお)さんを犯人であると決めつけて逮捕しました。袴田さんは、無実を主張しましたが、1日12時間、最長で1日17時間にも及ぶ極めて長時間の威圧的な取調べが連日行われました。また、警察は、就寝時間中も袴田さんを眠らせないようにするために、酒浸りで泥酔している別の被疑者の隣の部屋に袴田さんを入れて、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して、袴田さんを極限まで睡眠不足に陥らせました。さらに、勾留期限が迫ると、警察は、朝、昼、深夜を問わずに2~3人がかりで袴田さんを棍棒で殴ったり蹴ったりする暴行を加えました。その結果、袴田さんは、勾留期限3日前に自白をするに至り、45通の自白調書が作成されました。
■裁判の経過
袴田さんは、裁判では一貫して、自白は強要されたものであるとして、無実を主張し続けました。裁判では、警察の自白強要が認定され、44通の自白調書は違法な証拠として採用されませんでした。ところが、静岡地裁は、残り1通の自白調書を証拠として採用して、袴田さんに死刑判決を下しました。そして、その後の東京高等裁判所や最高裁判所でも有罪判決が下され、昭和55年に死刑判決が確定しました。
■再審開始決定
今年の3月27日、静岡地裁は、袴田さんの第二次再審請求を認め、再審開始決定を下しました(再審とは、確定した判決に対して主に事実認定の不当を救済するための非常救済手続のことです。)。それだけでなく、静岡地裁は、死刑と拘置の執行を停止し、袴田さんを釈放する画期的な決定を下しました。この第二次再審請求手続では、犯人が着ていたとされたシャツに付いた血液のDNA型が袴田さんのものとは一致しないとの鑑定結果が出ていたのですが、静岡地裁は、決定の理由の中で、DNA鑑定結果を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する」と評価し、しかも、事件の1年以上後に発見され、有罪の最有力の証拠とされたシャツなどの衣類について「捏造されたものであるとの疑問は拭えない」と捜査機関を厳しく批判しました。さらに、袴田さんが「捜査機関によって捏造された疑いのある証拠によって有罪とされ、死刑の恐怖の下で拘束されてきた」と指摘し、「これ以上拘束を続けることは耐え難いほど正義に反する」として拘置の執行停止を認めたのです。なお、再審開始決定に対して検察官が即時抗告(裁判所の決定に対する不服申立て)をしたため、現在、再審手続が開始されるかどうかについて東京高等裁判所での審理が続いています。
■袴田事件から学ぶべきこと
以下は、昭和58年年2月8日に、袴田さんが書いた獄中書簡です。
「……殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った。そして、連日二人一組になり三人一組のときもあった。午前、午後、晩から一一時、引続いて午前二時まで交替で蹴ったり殴った。それが取調べであった。……息子よ、……必ず証明してあげよう。お前のチャンは決して人を殺していないし、一番それをよく知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。チャンはこの鉄鎖を断ち切ってお前のいる所に帰っていくよ。」
袴田事件のような事件を二度と起こさないためにも、現在、日本弁護士連合会が強く求めている「取調べの全面可視化」「検察官手持ち証拠の全面開示」が実現されることが不可欠です。